出来ることだけ

発達凸凹次男と私の成長記録

発達相談までモヤモヤ

現在小3支援級(情緒)に在籍する次男、すーの成長を振り返っています。

小学校に入学し、授業参観で違和感を感じた私はようやく発達相談に電話をしますが、それはなんと5ヶ月待ちだった…!

というのが、前回です。

自分の中でも思い違いであってほしい、という期待もあったので、この間見極めて、大丈夫ならキャンセルしようと思っていました。

本当に困った行動があるなら、それをまとめていこうと思いました。

まず、担任の先生とすーの困り事を話すようになったのは、集団登校問題でした。

当初は、問題ないと思っていましたが、ある日担任の先生から、

「すーくんが、登校中、横断歩道の途中で止まってしまい、危なかったと登校班班長(上級生)から相談があった。」

というのです。

私達にも、すーは何か気に入らないことがあると、こういったアピールをすることは把握していました。

就学時検診でも、こういったアピール(列から離れる、非協力的)があり、個別に呼び出されたんですよね。

今思うと、このアピールは

こだわり

という言葉でまとめられてますね。

当時は分かりませんでした。

なので、個別に呼び出されたとき、こだわりがあるか?と聞かれて、別に手離せないものもないし、「ありません」と答えたんですが、【こだわり】の定義を知ってたらなぁ~、と思います。

嫌なことをうまく説明できなくて、アピールしてるだけだと思ってました。

こういったアピールする子で…と説明する傍ら、危険を伴うので、集団登校には親が途中まで付き添うことにしました。

これは今でも続いており、主に夫が担当しています。

この他にも、特に上級生に対してちょっかいを出す、口や手が出るとクレームが入るようになり、担任の先生から報告を受けるようになり、頻繁に学童保育のお迎え時に相談したり、学校での様子、家での様子を共有するようになりました。

先生からは

「話せば分かるし、約束もしてくれるんだけど…」

そう。

その場では理解できても、次に生かせないというのです。

年の離れた兄と姉がいるので、年上に甘えてる(限度があるけど…)、遠慮がないのかな、と思っていました。

今思うと、これも衝動性ですね。

大丈夫と思い込んでいた小学校生活は、彼にとっては新しく、なれない環境で、とても苦しんでいたのでしょう。

保育園時代は人懐っこい、人見知りしない性格、と思っていましたが、それはなれた環境、信頼できる人々に囲まれてようやく発揮できる部分で、環境も、人も激変した中で、すーはもがいていました。

本人も分からなかったと思います。

今思うと、こんな苦しい状況下で放置してて、しかも、宿題やらなければ叱ってホントに、ゴメン!!って思います。

続く(まだ相談に行けません😅)